区立D小学校界隈 -0.1 幼なじみって
ちいちゃんは、品川区の中で、D小学校へ通うまでに2回引っ越しをしている。生まれた時に住んでいた家は、鮫洲と言う地域で近くに醤油工場があった。コンクリートで固められた広場に醤油を作り終わった大きな木の樽を横に倒して干して居た。横になった樽は、小さいちいちゃんには、大きなトンネルに見えて、恐る恐る醤油の匂いを嗅ぎに入っていって遊んだ事以外は、一緒に遊んだ友達が居たかどうかもほとんど覚えていない。最初に引っ越した家は、私鉄の〇馬場駅近くで、玄関が広く上り口がちょうどちいちゃんの椅子代わりになって絵本を見たり、絵を書く場所になった。玄関の前は、通り道を挟んで空き地が有り、紙芝居のおじさんの自転車も来るし、空き地の周りに住む子供達の良い遊び場になっていた。2度目の引っ越しは、いきなりだった。大きなトラックが家の前に来て、家の中の物をどんどん積んで、ちいちゃんを荷台に積んだ椅子に座らせると走り出した。広い道路に出てスピードが出た時、履いていた左足のサンダルが、道路に落ちてしまった。隣りに座っていたお父さんが、「仕方ないよ」と取ろうと手を伸ばしたちいちゃんの体を抑えた。
引っ越し先は、町名が1丁目から2丁目に変わるぐらいでそんなに離れていなかったけど、お祖母ちゃんの家は、寄木神社の隣りにあったから、今度引っ越した家から目黒川の大正橋を渡ってすぐ行く事ができる様になった。だから、ちいちゃんは、お祖母ちゃんの処へいつでも行けた。お母さんも「お祖母ちゃんが用があるっていていた。」とか、「おじさん(お父さんの兄)が、映画を見に行こう」と言っていたと時々嘘をついて、お祖母ちゃんの処へ行かせようとしていたので、空き地へ行かなくなり、友達と遊ばなくなって、ちいちゃんは、だから、『幼なじみ』ってどんな友達なんだろうと考えてしまう。
ちいちゃんの両親は、恋愛結婚だった。父親20歳、母親18歳の時、学生結婚だと聞いている。戦争が終わったと言っても、まだ、見合い結婚が当たり前で、家と家の結び付が重要だった時代。「いつまで続くやら」と親戚に言われて、ちいちゃんが生まれるまで、親戚に支援される事はなかった。ちいちゃんが生まれて親戚付き合いが始まったと、お母さんは、幼稚園に通い始めたちいちゃんに話した。ちいちゃんは、お祖母ちゃんの家に毎日遊びに行っていたから、何のことかわからなかったけど、ちいちゃんがいるからお母さんは、お祖母ちゃんの家へ行けるんだと思った。

