おはぎのブログ#喫茶室いこい=仲間募集・自分史を作りましょう=

ひとりより二人、辛い思い出も仲間と話せば優しく励ましてくれる。あなたの応援団。

生きる事は素晴らしいノンフィクションだ。
自分史を楽しみながら、一緒に書きませんか。

区立D小学校界隈 :旧目黒川 大正橋は小さな太鼓橋

おはぎ

 埋め立てられ八ッ山通りになった旧目黒川には、浮世絵の日本橋みたいな太鼓橋がかかっていた。浮世絵にか描かれた日本橋より、ずぅーと小さい太鼓橋だった。

 昭和30年代、橋は、鉄筋コンクリート造りに架け替えられていて大きなトラックが勢いよく埋め立て地へ走っていた。(横断歩道が書かれていない橋を渡る時は、左右を注意して緊張したものだった。)

大正橋と言うその橋は、何故か木造りのまま(ちいちゃんは、学校へ行く前に新しく掛け替えられた橋を渡ったのを覚えている。)人が渡る橋だった。(オートバイも降りて押して渡っていた。)

 祖母の家は、旧街道から陣屋横丁を下りて、この大正橋を渡った洲崎にあった。大正橋から対岸の寄木神社の裏にあるイチョウの大木と、おばあちゃんの家(ち)を見つけると『もうすぐだ』と橋を渡る。コンクリートの橋と違う柔らかい足音がして、ちいちゃんは、走って渡るのが好きだった。

現在、旧目黒川が埋め立てられた八ッ山通りは、道路沿いに面して新しく玄関のある住宅やマンションが建つ住宅街の生活道路になっている。

大正橋の有った場所は、明治天皇が、本陣を造ったと記念碑のある公園を半分削って、産業道路に繋げた山手通りの交差点の一つになっている。横断歩道が書かれた〇△交差点である。

大正橋の有った交差点から、寄木神社は、今でも見つける事ができるのだが、八ッ山通りに背を向けてしまっている。寄木神社は、江戸時代から猟師達の安全を見守って来た洲崎の鎮守様だった。埋め立てが進んで、猟師達の姿が無くなり、神社の周りに住宅が建って、忘れられてしまったとを拗ねて寂しがっている様に見えるのは、私だけなのだろうか。

寄木神社の山門には、頭に蝋燭を立てて、夜の海を照らしたと言われる頭が平らな古い狛犬が、遠くなった海岸線を見つめて今も建っている。 

                                                                               

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

気ままに一筆:「リッパ」と「エライ」の違い教えて

おはぎ

「リッパ」と「エライ」の違いをお教えてください。漢字で書くとリッパは「立派」、エライは「偉い」と書く。ともに誉め言葉に使う(?)と思う。
小さい頃、「〇〇出来たのエライ、エライ」とほめられた。毎朝、お弁当を作って家族に持たせていることを、近所の小母さんが「毎日、エライね。」と褒める。既に他界した祖母は、〇〇区長や△△社長は「エライ人」だと話していた。

「リッパ」はと言うと、新築の家や、樹齢何年の木を眺めて「リッパだね。」と言っていたが、「リッパな人」と、褒めていた記憶がない。

考えて見ると、私は、めったに「エライ」「リッパ」を感嘆や誉め言葉に使わない。

最近、近所のお婆さんが、「Aさんの妹さんは、リッパな人よ。」と言ったので、

久し振りに聞いた言葉に「リッパってどんな風に、、、」と聞き返した。

お婆さんは、「知らない。Dさんがそう言っていた。」とちょっと不機嫌に答えた。

私は、聞いてはいけない事を聞いたのか、、、。わかった様な顔をして、相づちを打って話を終えれば良かったのか。

 誰か、「エライ」と「リッパ」の違いを教えて欲しい。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

区立D小学校界隈 :旧目黒川 品海橋とクジラ神社

おはぎ


ちいちゃんは、宿の通り(旧東海道)の台場横丁を下って旧目黒川(本流)に架かる「品海橋」を渡って利田神社の前を通ってD小学校へ通っていた。 

 ちぃちゃんが、D小学校に通っていた昭和30年代から昭和40年代ごろの旧目黒川は、宿の通りに沿って洲崎(猟師町)と利田神社の周辺を埋め立てた利田新田(現在の東品川地区)を囲むように北品川橋から東京湾に流れたいた。

昭和30年頃の旧目黒川は、東京湾の潮の満ち引きで、川の水位が大きく変わる。引き潮の時は、川岸に積まれた石が丸出しになって、飛び石の道の様になった。それを「近道」と称して、遊び場の空き地まで岸壁沿いに渡って遊んだ。(先生に見つかって怒られたけど、、)

 昭和40年代には、何回かの護岸工事によって、旧目黒川は、完全に埋め立てられた。令和8年の現在は、「八ッ山通り」と呼ばれる第一京浜(国道)の抜け道になっている。ちいちゃんが渡った「品海橋」は、歩道橋と横断歩道に変わっていて信号機も立っている。道筋には10階以上のマンションや現代的な外壁の2階建て住宅が、両側に建ち並ぶ住宅地である。利田神社の境内に鯨塚建立の由来が書かれた立札が立っていた。ちいちゃんが、クジラ神社と教えてもらった神社だ。「大きなクジラがどうして此処に」と思った疑問の答えを知ることが出来た。

横断歩道の前に立って渡ろうとすると、D小学校から数人の子供達が出て来た。子供達は、横断歩道を渡らずに、歩道橋の方に走って行った。階段のところから「チ・ョ・コ・レ・ー・ト」「パ・ィ・ナ・ッ・プ・ル」「グ・リ・コ」と大きな声が聞こえる。階段をにぎやかに上がる足音が聞こえる。

「この道は、むかし、目黒川だったのよ」と言っても、子供達には、理解出来ないんだろうなぁ、、。

ちいちゃんが、「近道」と川べりの石を飛び越えていたころのことを、思いながら川が無くなってしまったことが、やけに寂しく思えた。

 今、目黒川は、都市の運河として整備された公園の一部になっている。護岸工事は、これからも続く様だけど、日本の川の風情を少し残してほしいものだ。

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思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。