埋め立てられ八ッ山通りになった旧目黒川には、浮世絵の日本橋みたいな太鼓橋がかかっていた。浮世絵にか描かれた日本橋より、ずぅーと小さい太鼓橋だった。
昭和30年代、橋は、鉄筋コンクリート造りに架け替えられていて大きなトラックが勢いよく埋め立て地へ走っていた。(横断歩道が書かれていない橋を渡る時は、左右を注意して緊張したものだった。)
大正橋と言うその橋は、何故か木造りのまま(ちいちゃんは、学校へ行く前に新しく掛け替えられた橋を渡ったのを覚えている。)人が渡る橋だった。(オートバイも降りて押して渡っていた。)
祖母の家は、旧街道から陣屋横丁を下りて、この大正橋を渡った洲崎にあった。大正橋から対岸の寄木神社の裏にあるイチョウの大木と、おばあちゃんの家(ち)を見つけると『もうすぐだ』と橋を渡る。コンクリートの橋と違う柔らかい足音がして、ちいちゃんは、走って渡るのが好きだった。
現在、旧目黒川が埋め立てられた八ッ山通りは、道路沿いに面して新しく玄関のある住宅やマンションが建つ住宅街の生活道路になっている。
大正橋の有った場所は、明治天皇が、本陣を造ったと記念碑のある公園を半分削って、産業道路に繋げた山手通りの交差点の一つになっている。横断歩道が書かれた〇△交差点である。
大正橋の有った交差点から、寄木神社は、今でも見つける事ができるのだが、八ッ山通りに背を向けてしまっている。寄木神社は、江戸時代から猟師達の安全を見守って来た洲崎の鎮守様だった。埋め立てが進んで、猟師達の姿が無くなり、神社の周りに住宅が建って、忘れられてしまったとを拗ねて寂しがっている様に見えるのは、私だけなのだろうか。
寄木神社の山門には、頭に蝋燭を立てて、夜の海を照らしたと言われる頭が平らな古い狛犬が、遠くなった海岸線を見つめて今も建っている。


