おはぎのブログ#喫茶室いこい=仲間募集・自分史を作りましょう=

ひとりより二人、辛い思い出も仲間と話せば優しく励ましてくれる。あなたの応援団。

生きる事は素晴らしいノンフィクションだ。
自分史を楽しみながら、一緒に書きませんか。

気ままに一筆:成年後見制度のこれから

おはぎ

 2000年4月1日に施行された成年後見人制度は、 25年を越えた2026年1月に成年後見人に与えられた今の包括的な代理行為の見直しを模索していると発表された。

 もっとも、成年後見人制度は、バブル景気後、65歳以上の高齢者数が、総人口の14%を超え、ネット詐欺、オレオレ詐欺等の「特殊詐欺」と呼ばれる犯罪に巻き込まれる高齢者が社会問題となったため、旧民法(明治時代)の「家制度」で定められていた禁治産者・準禁治産者の制度を、判断能力の不十分な程度によって後見・保佐・補助の三っに分け「法定後見制度」と「任意後見制度」の二つの制度を設けて、成年後見制度に改正した。

  法定後見人は、選任されると被後見人(本人)の資産管理をし、資産を維持する事。被後見人(本人)の最期まで支援を続けることが責務となる。親族に金銭的支援をする事や、資産を譲る行為も、本人の生活に影響を及ぼす特別の行為として,家庭裁判所の承認を得なければならない 。

『 家族の財産は、家のもの。家長が取り仕切る。』と昔から引き継がれている日本の風土は、家族は財産を自由に出来ない事に、法定後見人の存在を不満に思う。被後見人(本人)は、自分の望む生活にほど遠い法定後見人の決めた生活に抵抗出来ない。(家庭裁判所に選任された後見人は、本人の財産を本人の為に管理しているだけなのだが、、、。)

 そして、家庭裁判所は、70歳以上の人を法定後見人に選任しない。法律上の定めは無いが、『被後見人(本人)より先に後見人が、他界されると困るから、..。』が、家庭裁判所の常識になっている。(だから、本人が頼りにして後見人になって欲しい人でも、後見人に選任されない人がいる。)

 この25年間に65歳以上の人口数は、約2,187万人から約3,600万人と約1.6倍になった。独居世帯も約350万世帯から約700万世帯と2倍になっている。認知症者数も10人に1人から、5人に1人になったと言われている。核家族化で家族がバラバラに生活する現代の独居老人と認知症の問題は、あたり前の様に「年寄を取ったら、家族が面倒を見る」と言った生き方を受け継いできた高齢者に「そんな時代じゃないよ。」と現実を突きつけている。

 自分自身に置き換えて考えて見た。

認知症を発症し動けなくなった場合、私の思いを察して支援をたのめる身内や、日常に交流のある身近な知り合いがいるとは言い切れない。専門職の人を指名することを考えなければならない。それなのに、「人に迷惑をかけられない。」と言う気持ちと、「死んだらみんなが何とかしてくれる。」という安易な気持ちが交差してしまう。

戦後、民主主義、人権の尊重と権利の教育を受けて来た私にも、「親族の事は、世間の目を気にしながら、世間と同じでなけらばならない」と言う家制度の考え方を、頭の隅に引きずっていることに気が付かされた。

 まして、高度成長期からバブルを経験している団塊の世代と呼ばれる高齢者は、「みんなと同じ、家族が面倒を見てくれる。」と言う思いは強いのではないか。

 今回の改正は、後見人の権限を見直し、本人の意志を尊重し、本人との意志の疎通が不自由分な後見人を、必要とした行為が終了した時点で後見人の役目を終わらせることが出来る(案)が提案されている。

この(案)が成立すると判断能力の不十分な本人は、支援が欲しい事を、必要な時に支援して欲しい人に支援してもらえる事になる。

でも、どうだろう「みんなと同じに」と言う日本人特有の心情を引きずっている高齢者が、判断能力の不十分な状態で、自分の意志を表す事がだ来るのか? そして、そんな高齢者の気持ちを汲み取り、「本人の意志を尊重して、その人らしく生きられる。」成年後見制度となるのだろうか。


法定後見制度は、「資産管理」と「心情支援」の2つから成立っている。今回の改正は、財産管理に重点を置いて、これから増えるだろう判断力の不十分な高齢者の資産管理を、専門職が担当しやすい改定をしたのではないだろうか。

すべての高齢者が、裕福で資産管理に支援を必要としているとは考えられないのだが、、


高齢者のみなさん、

 自分の生きたかを見つめ直そう。

 これからの生き方を、「歳だから」とあきらめないで自分の可能性を大切にしよう。

 ひとりで頑張らないで、周りの住人に「助けて」と声をだそう。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

区立D小学校界隈 PTAのおばさん達

おはぎ

 余所行きの洋服を着て、きれいにお化粧をした5~6人のおばさん達が、1か月に1度ぐらい小学校にやってくる。PTAのおばさん達だ。おばさん達は、職員室に挨拶して校長先生の部屋へ入って行く。

おばさん達は、D小学校の周りの埋め立て地に建った分譲住宅で、どっかの大きな会社で働くサラリーマンの家の人だ。ちいちゃんが住む旧街道の商店街のおばさん達とちょっと違う。商店街のおばさんは、お化粧をしていない。お惣菜を売る店のおばさんは、手ぬぐいを頭にかぶり、割烹着や前掛けをしている。工場に勤めている家のおばさんは、夕方、サンダル履きで、買い物かごを持ち、普段着姿で商店街をブラブラしながら、夕食のおかずを探したり、近所のおばさん達と噂や学校の出来事を、買い物を忘れて話し込むのが日課だ。そして、PTAのおばさん達と商店街のおばさん達が、街で合うと、何となくお互いに気取っている様に見えた。

 学校では、おばさん達が、校長先生の部屋へ入っていくことや、PTAの家の子(クラスメート)が、お母さんからの言付けを伝えに、気軽に職員室に入って行くのを見ると、家へ先生を招き食事を一緒にしているから、PTAの家の子(クラスメート)は、先生に可愛がられているんだと、ちいちゃん達旧街道の子供達は、「先生の依怙贔屓(えこひいき)」と陰口を叩いていた。

この頃は、PTAの役員をやる人は、会社で役付の経済的に恵まれている家庭。そして、その家の子は、特に男の子は、優等生と決まっていた。



SNSもスマホも無かった時代。見た目と噂が情報の時代。民主主義の教育になっても、家の格がものを言う風土はまだ残っていた。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

区立D小学校界隈 ちいちゃんのおひな様

おはぎ

ちいちゃんは、2度目に引っ越した家で、裁縫の好きなお母さんが、何時も使っている足踏み式のミシン台の上に赤い布を引いて、大人の片手に乗るぐらい(10㎝位の手毬の大きさ)の木目込みのお雛様が、飾られていることに初めて気が付いた。幼稚園に通う前で、ちいちゃんの背の高さは、ミシン台の高さと同じぐらい(80㎝位)。ミシン台に手を伸ばして、つま先だつとミシン台の上に飾られたおひな様の姿が何とか見えた。着物を着ていて、顔におしろいを塗り、口紅も付けている。『こけし人形』とは違い座っていて可愛い。もう少しよく見たい。赤い布を掴むとおひな様が倒れた。

お母さんが慌てて「赤い布を引っ張っちゃだめ。」と、元に戻す。

それでも、ちいちゃんは何回か同じことを繰り返したのだろう。ちいちゃんが、ミシン台の前に近づくと「引っ張っちゃダメ !!」と大きな声がして、赤い布の上のおひな様を、両手でミシン台の下に払い落した。大きな声といつもと違うお母さんの顔が怖くって、ちいちゃんは、おひな様を見ない様にした。

 3度目に引っ越した家で、ちいちゃんはD小学校へ通った。3年生になる年の3月3日、家に帰ると桐ダンスの上に、新しい内裏様と3人官女の3段飾りのひな人形が飾ってあった。

「どうしたの?」「お父さんが買ってきた。」ちいちゃんは、新しいおひな様は、古い木目込みのお内裏様より、2倍も3倍も大きく立派で嬉しかった。だけど、ちいちゃんには、木目込みのお内裏さまが、3段飾りの台の横に飾ってあって、気兼ねなく木目込みのお内裏様に触れられる事が嬉しかった。

 小学校の上級生になった頃には、3月3日におひな様が飾られなくなり、お母さんに「おひな様は、どうしたの」と聞くと「Ⅿちゃん家(ち)にあげた。M子ちゃんの処は女の子が、二人いるから、家(うち)はもう飾らないし」と言う。全部?木目込みの内裏様も?あげてしまったと言う。やっぱりおひな様は、お母さんの物なんだ。と、ミシン台から両手でおひな様を振り落としたあの時のお母さんを思い出した。

 ちいちゃんは、木目込みのお内裏様が、好きだった。誰かにあげるなら、私にくれれば良いのに。心残りだけが思い出になった。

 

 大人になったちいちゃんは、フリーマーケットを知った。3月近くなると、メルカリで、ちいちゃんのおひな様を探す様になった。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。