おはぎのブログ#喫茶室いこい=仲間募集・自分史を作りましょう=

ひとりより二人、辛い思い出も仲間と話せば優しく励ましてくれる。あなたの応援団。

生きる事は素晴らしいノンフィクションだ。
自分史を楽しみながら、一緒に書きませんか。

気ままに一筆:雪が、、、、、。

おはぎ

 窓の外を見ると『?』、、靄が斜めに流れていた。『雨?雪?』。『雪❓だぁ~❕』

『なんて静かなんだろう。』都会の音をすべて吸収する静けさ、連呼する選挙カーの声も吸い込んでしまう。テレビでは、議席数300とか、安定過半数とか、数字ばかりの政治予想。そういえば、多数決だものね。私は、「右」だと思っても、みんなが「左」と言えば、「左」になるのよね。だとしたら、私の「右」は何処へ行くのだろう。『世の中の弱者を見捨てない。』って「左」を向けない人は、弱者じゃないのかな?数字の多さで、政治の方向がどう変わるか、ばかりテレビ解説者は、予測しているけど、予測は予測。時間がたってみなければ解らない。

日本は、選挙が多い。選挙は、「左」を向けない人が、「左」を理解して、「左」に向けるか考えを表す機会だと思う。選挙カーからは、人の名前と、お願いします。「左」を理解する事ができない。

『議員の任期は、法律で決まっている。どうなっているの。』と雪が、理解が出来ない私を包んで行く。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

区立D小学校界隈 ちいちゃん のミニチュアバック

おはぎ

 ちいちゃんは、D小学校の上級生。クラスメイトのM子ちゃんに誘われて、〇〇教会の日曜学校に行っている。日曜日朝9時に教会に行くと、牧師さんが、季節ごとのキリストの教えを話し、賛美歌を唄う。その後、大人達は、それぞれグループにわかれて、バザーや病院訪問の行事について話合っている。ちいちゃんは、二十歳代のお姉さんをリーダーに講堂の隅で小学生や中学生の仲間と、新約聖書の〇〇の福音書◇◇の手紙とかの一節を読んで、その話をどう思うかとか、みんなで話し合う。お姉さんは、その手紙が書かれた時代の出来事なんかを話してくれる。ちいちゃんは、おじさん(お父さんのお兄さん)と休みの日に川崎の映画街で見た洋画(ローマ時代の物語)の内容を「知っている知っている。」と得意になって、お姉さんに続けて話していた。お姉さんは、黙ってうなずいて聞いてくれる。

親戚の大人達は、ちいちゃんの話を「忙しいんだから、何言っているのか解んない。」「そんな事より買い物に行って来て。」「近所の小母さん達に変なん目で見られない様にしなさい。」と言うばかりで聞いてくれなかった。

ちいちゃんは、キリストを信じる大人達は、「パパは何でも知っている」や「家(うち)のママは世界一」のホームドラマの主人公と同じに、ちいちゃんの話を聞いてくれるんだ。と嬉しかった。それに「バザー」や「イースター(復活祭)」と外国のお祭りを教えてくれたし、赤い羽根の募金活動も〇馬場駅で手伝えて、ドラマの中の一人になった様で、ちいちゃんは、教会へ行くのが楽しかった。

 イースター(復活祭)で、ゆで卵にマジックで色々な模様を描いて、集まった人に配る風習があることを知った。その準備に集まった時、教会の中では、木のベンチをどかし、信者が持ち寄った雑貨や小物、洋服が、バザーで売る為に並べられていた。大人達は、いつもと違う大きな声で「これ何処に置く」「マジック何処?」と忙しく動きまわっている。ちいちゃんは、いつも話を聞いてくれるお姉さんから、教会を印刷した画用紙を渡されて、日曜学校の仲間達とバザーで配るメッセージカードを一人一枚づつ、自分達の好きな色や花をカードに書き入れながら、誰にこのカードが届くのかと思いながら夢中になって作った。カード作りが終わってホットして手を拭こうとして、ハンカチと小ちゃなヘアブラシを入れて持って来たミニチュアのスポーツバックが、なくなっていることに気が付いた。バザーの小物と混じらない様に窓の柵の上に置いておいたはずだったのに、ちいちゃんは驚いて、お姉さんに知らないか聞いた。お姉さんは、周りの小母さん達と「バザーの品物の中に交じったかもしれない。」と探してくれたけど、見つからなかった。ちいちゃんは、ミニチュアのスポーツバックが気に入っていたから、あきらめ切れずに教会の中を探し廻っていると、何時も礼拝に来ている小母さんが、「本当に持って来たの」とちいちゃんの顔を覗いて話しかけて来た。ちいちゃんは「持って来た」と言いながら小母さんの顔を見た。小母さんの目は、初めてD小学校に行った時、パネルに描かれた絵を知らないと言ったちいちゃんを、変な目にで見ていた小母さんの目と同じだと思った。教会に来る小母さん達は、みんな話を聞いてくれる人だと思っていたのに、近所の小母さん達と同じなんだと感じた時、今までの思いが消えた。 ちいちゃんは、日曜学校へ行くのを辞めた。

 それから、大人になるまでに、小母さん達の変な目を度々見るにつけて、今は「大人は、本音と建て前を使い分けている」と、理解出来るようになったけど、やっぱり、あの時のちいちゃんには、話を聞いてあげて欲しかったと、今でも思う。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

区立D小学校界隈 -0.1 幼なじみって

おはぎ

 ちいちゃんは、品川区の中で、D小学校へ通うまでに2回引っ越しをしている。生まれた時に住んでいた家は、鮫洲と言う地域で近くに醤油工場があった。コンクリートで固められた広場に醤油を作り終わった大きな木の樽を横に倒して干して居た。横になった樽は、小さいちいちゃんには、大きなトンネルに見えて、恐る恐る醤油の匂いを嗅ぎに入っていって遊んだ事以外は、一緒に遊んだ友達が居たかどうかもほとんど覚えていない。最初に引っ越した家は、私鉄の〇馬場駅近くで、玄関が広く上り口がちょうどちいちゃんの椅子代わりになって絵本を見たり、絵を書く場所になった。玄関の前は、通り道を挟んで空き地が有り、紙芝居のおじさんの自転車も来るし、空き地の周りに住む子供達の良い遊び場になっていた。2度目の引っ越しは、いきなりだった。大きなトラックが家の前に来て、家の中の物をどんどん積んで、ちいちゃんを荷台に積んだ椅子に座らせると走り出した。広い道路に出てスピードが出た時、履いていた左足のサンダルが、道路に落ちてしまった。隣りに座っていたお父さんが、「仕方ないよ」と取ろうと手を伸ばしたちいちゃんの体を抑えた。 

 引っ越し先は、町名が1丁目から2丁目に変わるぐらいでそんなに離れていなかったけど、お祖母ちゃんの家は、寄木神社の隣りにあったから、今度引っ越した家から目黒川の大正橋を渡ってすぐ行く事ができる様になった。だから、ちいちゃんは、お祖母ちゃんの処へいつでも行けた。お母さんも「お祖母ちゃんが用があるっていていた。」とか、「おじさん(お父さんの兄)が、映画を見に行こう」と言っていたと時々嘘をついて、お祖母ちゃんの処へ行かせようとしていたので、空き地へ行かなくなり、友達と遊ばなくなって、ちいちゃんは、だから、『幼なじみ』ってどんな友達なんだろうと考えてしまう。


 ちいちゃんの両親は、恋愛結婚だった。父親20歳、母親18歳の時、学生結婚だと聞いている。戦争が終わったと言っても、まだ、見合い結婚が当たり前で、家と家の結び付が重要だった時代。「いつまで続くやら」と親戚に言われて、ちいちゃんが生まれるまで、親戚に支援される事はなかった。ちいちゃんが生まれて親戚付き合いが始まったと、お母さんは、幼稚園に通い始めたちいちゃんに話した。ちいちゃんは、お祖母ちゃんの家に毎日遊びに行っていたから、何のことかわからなかったけど、ちいちゃんがいるからお母さんは、お祖母ちゃんの家へ行けるんだと思った。

 


              

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。