おはぎのブログ#喫茶室いこい=仲間募集・自分史を作りましょう=

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生きる事は素晴らしいノンフィクションだ。
自分史を楽しみながら、一緒に書きませんか。

銭湯の三助さんを知ってますか。

おはぎ

 80年続く都内の銭湯(公衆浴場)がリニューアルオープンして、1日の入浴客数が300人以上になり、『町の憩いの場にしたい』とオーナーが話しているTVニュースを見た。

 都内の銭湯は、昭和40年代に約2,700軒あったという記録が残っている。令和7年の現在、都内の銭湯は、約430軒にまで減少している。私が小学生の昭和40年代の下町は、町内に一つ銭湯があった。銭湯の造りはどこの銭湯も屋根が高く玄関が広いお寺の様な外見で、設備も男湯、女湯に分かれた入り口があり、中に入ると脱衣所、洗い場、湯船。突当りの大きな壁一面に富士山の絵が描かれたいた。湯船の隣りは、ボイラー室につながる従業員用の出入り口が在って、そこを私は、男湯と女湯の異動に使って、三助さんに『ボイラーに近ずくな』と怒られたことがある。その三助さんが、天才バカボンのパパと同じデカパンと腹巻姿で女湯にボイラー室の出入り口から入ってきて、三味線を教えている小母さんの背中をタオルで流し始めた。流し終わるとタオルを肩にかけマッサージ、最後に背中をパンパンと軽くたたいて、『それじゃ』『ありがと』と挨拶を交わしてボイラー室に帰って行った。周りの大人の女性達は、三助さんが入って来ても、出て行っても、何事もなかったように知り合いと何か楽しそうに話しながら、背中を交互に流し合っていた。私が、初めて三助さんの仕事を見た最初で最後の思い出である。

 TVニュ―スの銭湯は、ジャグジー、薬用風呂、高濃度炭酸風呂、露天風呂、お湯と水の蛇口にシャワーも個々に付いている洗い場は、個人を守るスペースを確保している。お風呂から上がって一休みできる脱衣所の中にあった休憩場所は、一つになって待ち合わせロビーとなり、ソファーが置かれ、飲食ができるコーナーもあるようだ。

オーナーは『町の憩いの場にしたい』と言っていたが、ビルの中にあるスパー銭湯のような滞在型とは考えていないようだ。近所の人達が皆で来て、それぞれお風呂から上がり、ロビーで水分補給のコーヒー牛乳(?)を飲みながら、知り合いの誰かが出て来るのをこの町に住んでいる共通点だけの隣りの人と世間話をしながら待っている。自分の権利を主張し合いプライバシーを重視する現代には、三助さんの居場所は無くなったけど、そんな三助さんの居たゆるい空気の漂う空間を望んでいるように思う。

なぜなら、この銭湯は、東京で最後の三助さんが居た場所だと言われていた「お風呂屋さん」だったから、


                                         

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

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