おはぎのブログ#喫茶室いこい=仲間募集・自分史を作りましょう=

ひとりより二人、辛い思い出も仲間と話せば優しく励ましてくれる。あなたの応援団。

生きる事は素晴らしいノンフィクションだ。
自分史を楽しみながら、一緒に書きませんか。

介護施設の美容師さんへ

おはぎ

 「髪を切りたく無いと言っている入居者さんに対して,施設の職員から短く切って欲しいと要望された時に、私はどうすればよいのでしょう。」と、介護施設に出張ヘアーカットを行っている美容師さんが、認知症発症者の支援者の講習会で相談してきた。講師は、「私は、入居者さんの意思を尊重したいと思いますが、施設や家族の方の意見を無視はできないですね、、。」と歯切れが悪い。

 本来、美容師は、髪をカットして欲しいとやってきたお客さんに「今日はどんな風にしましょうか?」とにこやかに希望を聞き、お客さんも「もう少し長く、短く」と髪型を整え、いつもと違う自分を発見する。美容師は、「こちらの方がお似合いですよ。」とアドバイスをするのが仕事で、お客さんと楽しい時間を過ごす。

            

 介護施設に入所していると言う背景から、職員さんが、カットを望まない入所者さんに、「清潔を保つために必要な事」と、定期的に美容師さんの処へ連れて来たのであれば、入所者さんのおしゃれを楽しむ時間を握り潰していることになるのではないか。

 職員さんは、介助の必要な複数の入所者全員の健康と、生活全般の安全と清潔を支援するのが仕事です。入所者一人ひとりに充分な時間がかけられない事情もあり、職員目線で判断をする事も多々あると思う。美容師が、そんな施設への忖度を考えて、入所者全員が、同じ髪型になる数をこなすだけのカットはしないでほしい。仮に、私に介護が必要となり施設に入所して、相談もなくヘアーカットをされたら、そして、入所者全員が同じ髪型だったら、介護が必要になった自分に嫌気が指して、「陰険なババア」になるだろう。施設に入所しても個性が無くなる訳では無いのだから、その人の個性を見据えて、その人におしゃれを楽しむ前向きな気持ちを待たせられる美容師として活動してくれることを望むだけです。

 講師とのやり取りを聞いていて、美容師さんに知っていて欲しい私の個人的な気持ちです。

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

「10時10分前に集まれ!」と言われたら、昭和と令和

おはぎ

 「明日、10時10分前までに集まって。」と言われたら、あなたは、何時何分の事だと思いますか?昭和生まれの中高年者は、頭の中にアナログの丸い時計の文字盤が有って、10時00分を指す短針と長針が頭に浮かびます。そして、「前に」と言われると、長針が10分後戻りして「それなら9時50分までに行こう。」と思います。

令和の青年は、スマホの画面に「10:10」とレジタル表示の1と0の数字が並ぶのを思い浮かべ、そして「10:10の前」なら「10:9までに行けば良い。」と言う事になります。

 私は、アナログからレジタルへ移行する世代なので、丸い文字盤が頭の中に在って、長針が一周し短針が30度動くと1時間が経ったと感じます。1時間の残り時間を、あと何分ぐらいと短針と長針の示す角度でわかります。なので、私も長針が10分後戻りします。ただし、

これは、対面で伝えられた場合の話しです。連絡事項として、文章で「10時10分前に」と書かれたら、「10時9分までに」と悩むと思います。

アナログ世代は、対面で会話することでお互いに『前に』の意味を「‥50分」と理解する。

レジタル世代は、「10分の前に」と送られてきたスマホの情報がすべてで、必要な情報を得られればそれで良しとなり理解する。

 昭和60年代にインターネッが始まり、メールやLINEで連絡を取るようになり、携帯電話がスマホに変わり、手軽に文字で連絡が取れる様になった事が、アナログ世代とレジタル世代に20分前後のタイムラグを生じさせた。「世代間の違いなのだ」と言い切って、笑い話にして、レジタル時代なのだと言っても、アナログの時計は無くならない。短針と長針の動きも変わらない。だったら、日本語の「話言葉」の言い回しを、相手の声を聞き楽しむ機会があっても良いのではないか。


              

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。

銭湯の三助さんを知ってますか。

おはぎ

 80年続く都内の銭湯(公衆浴場)がリニューアルオープンして、1日の入浴客数が300人以上になり、『町の憩いの場にしたい』とオーナーが話しているTVニュースを見た。

 都内の銭湯は、昭和40年代に約2,700軒あったという記録が残っている。令和7年の現在、都内の銭湯は、約430軒にまで減少している。私が小学生の昭和40年代の下町は、町内に一つ銭湯があった。銭湯の造りはどこの銭湯も屋根が高く玄関が広いお寺の様な外見で、設備も男湯、女湯に分かれた入り口があり、中に入ると脱衣所、洗い場、湯船。突当りの大きな壁一面に富士山の絵が描かれたいた。湯船の隣りは、ボイラー室につながる従業員用の出入り口が在って、そこを私は、男湯と女湯の異動に使って、三助さんに『ボイラーに近ずくな』と怒られたことがある。その三助さんが、天才バカボンのパパと同じデカパンと腹巻姿で女湯にボイラー室の出入り口から入ってきて、三味線を教えている小母さんの背中をタオルで流し始めた。流し終わるとタオルを肩にかけマッサージ、最後に背中をパンパンと軽くたたいて、『それじゃ』『ありがと』と挨拶を交わしてボイラー室に帰って行った。周りの大人の女性達は、三助さんが入って来ても、出て行っても、何事もなかったように知り合いと何か楽しそうに話しながら、背中を交互に流し合っていた。私が、初めて三助さんの仕事を見た最初で最後の思い出である。

 TVニュ―スの銭湯は、ジャグジー、薬用風呂、高濃度炭酸風呂、露天風呂、お湯と水の蛇口にシャワーも個々に付いている洗い場は、個人を守るスペースを確保している。お風呂から上がって一休みできる脱衣所の中にあった休憩場所は、一つになって待ち合わせロビーとなり、ソファーが置かれ、飲食ができるコーナーもあるようだ。

オーナーは『町の憩いの場にしたい』と言っていたが、ビルの中にあるスパー銭湯のような滞在型とは考えていないようだ。近所の人達が皆で来て、それぞれお風呂から上がり、ロビーで水分補給のコーヒー牛乳(?)を飲みながら、知り合いの誰かが出て来るのをこの町に住んでいる共通点だけの隣りの人と世間話をしながら待っている。自分の権利を主張し合いプライバシーを重視する現代には、三助さんの居場所は無くなったけど、そんな三助さんの居たゆるい空気の漂う空間を望んでいるように思う。

なぜなら、この銭湯は、東京で最後の三助さんが居た場所だと言われていた「お風呂屋さん」だったから、


                                         

思い出を大切に自分史を書きましょう。生きる事は素晴らしい。